五感で覚える

 大学1年生の夏休みに,私は所属していた植物研究部の合宿で青森県を訪れました。奥入瀬渓谷での観察会の途中,部の顧問で薬用植物学の教授であった指田豊先生に突然他の部員とともに叱られました。「今の学生は覇気がない!」と。普段物静かな先生に「覇気がない」と言われ,皆目を丸くして驚きました。

 植物を勉強するとき,花の香りや葉の感触は大変重要です。とくに葉に細かい毛が生えている物はルーペでそれを視認したり,葉を指でよじって香りを確認するといった,五感を使うことが植物の記憶に役立ちます。植物を好きな人は自然とそういった行動ができ,指田先生も部員にそれを求めていたのでしょう。先生の話を聞きながら時折メモをとる程度では植物図鑑を眺めているのと何ら変わりなく,部員に“やる気”を感じなかったのも無理のないことです。

 それから二十余年,薬学部も大分様変わりをしました。最大の変化は6年制になったこと。5年生になると,学生は病院や薬局で実習を行います。様々なカリキュラムの中に漢方製剤実習が組み込まれています。漢方製剤の指導ができる薬剤師はそれほど多くないため,私も微力ながらお手伝いをしています。年間約三十名の学生に指導する機会があります。

 漢方薬は植物・動物・鉱物などを加工した生薬の組み合わせです。漢方薬の特性を知るには材料である生薬を知る必要があります。限られた実習時間ですが,できるだけ生薬の香りや感触を大切にして欲しいと考え,五感を刺激する風味豊かな生薬を準備して臨んでいます。

 一般に病院や調剤薬局で扱われる漢方薬は成分抽出後のエキス顆粒剤です。エキス剤によって利便性が向上し,漢方薬の普及が進んだことも事実です。エキス剤の品質も良くなっていますし,当薬局でも汎用します。漢方製剤実習が課されているのは,薬局機能の一つを学習することに過ぎないのですが,漢方薬の本質であり,また医薬品の原点である生薬に触れる機会は,今後も継続しなければなりません。

 今年5月に指田先生が植物写真家の木原浩さんとの共著で新しい薬草図鑑を出されました。あとがきで木原さん曰く「この企画に意欲を持ったのは,指田先生の前著を読んでいたこともあります。難解になりがちな生薬の話を実にわかりやすく解説され,植物が好きで好きでたまらないということが文面から伝わってきます。」これを読み,冒頭の苦い思い出がよみがえったのでした。