四川省の名薬「川芎(せんきゅう)」

 2000年9月から約2年間,私は中国伝統医学を学ぶために,南京市での留学生活を送っていました。留学中のある日,薬草の逸話を集めた『中国薬話』という本を書店で購入し,次のような一文を見つけました。<『益都方物略記(宋代)』によると「芎窮(きゅうきゅう)は蜀(しょく:現在の四川省)の至る所にある。成都(せいと)では九月九日の薬市の時,芎窮と大黄(だいおう)が山と積まれ,その香りは千里に溢れる。」>

 芎窮とはセリ科に属するある植物の地下茎で,血流を改善する要薬です。セリ科の薬草は香りの強いものが多く,芎窮もその一つです。大黄はタデ科に属する薬草で,下剤として有名です。大黄も独特の香りを有します。また薬草の名前には名産地の地名を頭に付けて呼ぶ習慣があります。とくに四川省は数々の薬草の名産地であり,四川産の薬草には四川の「川」の字が付けられます。芎窮では「川芎(せんきゅう)」となるのですが,実は現在,川芎の呼び名の方が定着し,芎窮という名称はほとんど使用されません。どこで採集された芎窮であっても川芎と呼ばれるのです。

 この千里に溢れるという香りを,私は実際に体験したくてたまらなくなり,留学のカリキュラムを担当する教員に無理を言い,2001年9月9日に成都を訪れたのでした。成都は四川省の省都であり,大都市です。現代では道路に車が溢れ,残念ながら「川芎の香りが千里に溢れる」という状況ではありませんでした。しかし成都の生薬市場は大変有名で,その規模は中国最大級です。所狭しと並べられた数々の薬草や動物生薬(サソリ,ムカデ,蛇,得体の知れないもの・・・)の中に入り,大変に興奮したのを覚えています。

 さて,川芎は前述の通り血流を改善するのに役立つのですが,それによってさらに頭痛,肩こり,生理痛,鼻づまりなどを改善する処方に多用されます。川芎が主薬の川芎茶調散(せんきゅうちゃちょうさん)は様々な芳香性生薬と茶葉を組み合わせた処方で,頭痛に有効です。
また有名な葛根湯に川芎とコブシの花雷を配合した葛根湯加川芎辛夷(かっこんとうかせんきゅうしんい)は鼻炎,副鼻腔炎の名薬です。

 留学中様々なことを体験したのですが,この生薬の「気」に包まれた四川訪問は大変大きな思い出であり,財産になったと感じています。ただ,『益都方物略記』は約千年前の書物。旧暦の9月9日に訪問すべきだったと後悔する今日この頃です。

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